【錦織 圭の生い立ち】小学生時代・中学時代・高校時代を振り返る

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テニス情報

現在は故障の為、テニスから遠ざかっているプロテニスプレーヤー錦織 圭選手

彼のプレーに一喜一憂することもしばらくの間お預けですね。

ここでは、そんな彼の生い立ちを記事にまとめました。

復活する彼をしばらく待つ事にしましょう。

錦織優勝!! 復帰戦 ATPチャレンジャー プエルトリコ

1年8か月ぶりのツアー復帰で見事優勝‼️

錦織圭 VS M.ゼン

6-2、7-5

2023年 錦織圭 復帰戦 ATPチャレンジャー プエルトリコ

男子テニスで、元世界ランキング4位の錦織圭(ユニクロ)が、6月12日から始まる「ATPチャレンジャー プエルトリコ」で1年8か月ぶりに復帰します。

ケガも癒えて、久しぶりの試合ですね。

いいパフォーマンスが見られることを期待します。

WOWOW

2023年 錦織圭 復帰戦 ATPチャレンジャー プエルトリコ 試合結果

錦織圭 VS Cランモ

6-2、6-4

初戦ストレート勝利です!

プロテニスプレーヤー 錦織 圭 生い立ち

1989年12月29日、島根県松江市に生まれる。

初めてラケットを手にしたのは5歳の時。

父と9歳になる姉と一緒に雲南市の公園でボールを打っていた。

2ヶ月後に同じく雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートに通いだす。

錦織 圭 小学生時代

テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会する。小学4年生の時、中国地方代表として全国小学生テニス選手権大会に出場する。

翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残す。

2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たす。

この大会の準決勝では松岡修造が錦織の試合を観戦していた。松岡はリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いている短所も懸念していた。

選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。

松岡は錦織の苦手とする”表現力のメンタルトレーニング”を敢えて強いた。また、コーチとして竹内映二と小浦猛志が技術指導を行った。

7月末、全国小学生テニス選手権大会で5試合すべてストレート勝ちの優勝を果たす。

その約10日後全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、全国大会三冠(史上5人目)を達成する。

2001年11月、錦織にとって二度目の修造チャレンジに参加する。この時のキャンプには松岡の恩師である名コーチのボブ・ブレッドが参加し、練習コートにはテレビ局の取材カメラも密着していた。

この衆人環境のプレッシャーの中で錦織は身長差約30cmもある高校1年生に勝利する。年上で大柄な選手に勝ったことは錦織の大きな自信になった。

錦織 圭 中学時代

2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得て盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加する。

この時参加していたIMGアカデミーヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をする。

ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米。

渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8ダブルスは準優勝する。

12月のオレンジボウル選手権14歳以下の部で準優勝

2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝でアレクサンドル・ドルゴポロフに勝利し優勝14歳での優勝は快挙と言ってよかった。

9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップで三橋淳・喜多文明らと共に日本代表として出場。

スペイン戦でペレ・リバに勝利し前年大会では11位であった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。

錦織 圭 高校時代

2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。専任コーチを雇用する。

9月、全米オープンジュニアで3回戦進出

10月、大阪市開催の世界スーパージュニアテニス選手権大会でジェレミー・シャルディーに敗れるものの準決勝まで進出
この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。

2006年1月の全豪オープン男子ジュニアではベスト8入り。
ダブルスではピーター・ポランスキーと組んで出場しベスト4進出の好成績を収める。

3月、京都市で開催されるATPチャレンジャーツアー大会・島津全日本室内テニス選手権大会にワイルドカードで出場

錦織にとって初のツアー大会であった。初戦でロバート・スミーツに敗れるものの初のATPポイントを獲得する。

翌週メキシコカンクンのフューチャーズ大会には予選から出場しベスト4入り。

6月にはエミリアノ・マサと組んで出場した全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。
なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。

また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位のラファエル・ナダルが、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラーとして錦織を指名し話題を呼んだ。その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める。

フューチャーズ大会で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4

10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝した。
この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織はATPチャレンジャーツアーの予選に出場できるまでにランキングを上げる。

シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた。

2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。

錦織 圭 プロ転向後の主な戦績

2007年10月のジャパンオープンでプロ転向。

翌2008年2月、デルレイビーチ国際選手権でATPツアー初優勝。同年8月の全米オープンでは、日本男子シングルスとして71年ぶりにベスト16進出という快挙を達成し、その年のATPワールドツアー最優秀新人賞を受賞。

2009年、右ひじの疲労骨折で4月からツアーを欠場。苦しいリハビリを経て、翌2010年2月にツアー復帰。下部ツアーで優勝を重ね、一度失ったランキングを2010年末にはトップ100に戻す。

2011年、上海マスターズでベスト4に進出し、松岡修造の世界ランキング46位の記録を大幅に更新して30位に。また続くスイス室内の準決勝では、世界ランク1位のノバク・ジョコビッチを破る大金星を挙げる。

2012年、全豪オープンテニスのベスト8進出で、世界ランキング20位に到達。
日本代表として臨んだロンドン五輪では、準々決勝まで進み、5位入賞。
10月の楽天ジャパンオープンでは、地元の期待に応え見事優勝、自身2つ目のATPツアータイトルを手にする。

2013年は、メンフィスの大会に優勝し、3つ目のタイトルを獲得。
国別対抗戦のデビスカップでも日本のエースとして活躍し、日本のワールドグループ入りに貢献。

2014年、メンフィスの大会を連覇、マイアミのマスターズでベスト4、バルセロナのATP500で優勝、マドリッドのマスターズで準優勝と立て続けに好成績を上げ、
ついに5月12日付けの世界ランキングでは9位を記録、念願のトップ10選手の仲間入りを果たした。

全米オープンでは、ランキング上位選手を次々と破り、決勝に進出、アジア人としては初となるグランドスラム準優勝という快挙を成し遂げた。

その後も、マレーシアオープン、楽天ジャパンオープンと2週連続でタイトルを獲得し、その年のポイント上位8選手のみが出場できるATPワールドツアーファイナルズに出場、見事予選リーグを突破して準決勝に進出、年度末の世界ランキングで5位を記録した。

2015年、メンフィスの大会を3連覇、続いて出場したメキシコオープンで準優勝、
ATPランキングを自己最高の4位とする。
4月、バルセロナオープンを連覇、7月、ワシントンのシティーオープンでも優勝し、2年連続でATPワールドツアーファイナルズに出場。

2016年、メンフィスの大会を4連覇し、ツアー11勝目を挙げる。
8月のリオオリンピックでは、テニス競技で日本勢として96年振りとなるメダル(銅)を獲得し、
日本中を熱狂させた。
その後の全米オープンでも準決勝に進出、3年連続でATPワールドツアーファイナルズ出場を決め、
世界のトッププレーヤーの地位を不動のものにしている。

錦織 圭 2022年の現在地

2022年12月に33歳になり、世界ランキング370位の錦織選手。

2022年の1月に股関節の手術をし、10月からの楽天オープンに出場を予定しているが、
手術からの回復具合が気になるところ。

デ杯やグランドスラムで故障を押して全力プレーし傷を深めてきた経緯がある。

ここは無理はせず、万全を期して戻って来てもらいたいものである。

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